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教育科学「国語教育」1990.2(№423)より 

       -寄贈文集から問題をひろう-学習作文の奨励(2)             
                           小川末吉(東京都多摩市教育研究所長)
   1 芦田恵之助『綴り方教授』
 「学習作文」ということは、既に大正時代における芦田恵之助氏の『綴り方教授』(明治図書芦田恵之助国語教育全集2)で実践されている。例えば、「綴り方教授の材料は学習・経験・交際の事項よりとるべきやう一般に論ぜられる。・・・学習事項より選定した材料は、往々児童の感興をひき難いことがある。その原因は蓋し十分なる理解を得てゐないからであらう。十分なる理解を得させるには、理科ならば、之を実験せしめ、修身・地理・歴史などならば、諸書を参照して調査させるがよい」(292-293ページ)というようにである。
 学習事項を題材とした作文では、「十分なる理解を得させる」指導の手順として、「樺太のことを書かせやうとするならば、地理書を根底とし、之に読本中の『樺太より台湾へ』の書簡文を参考せしめ、さらに少年雑誌(もし樺太の記事あらば)等を調査させて、然る後記述させるのである。かういふ順序をとれば、文の出来不出来は別問題として文を綴る態度が真率である。実験し調査したことは思想が堅実で記述に活気がある」(293ページ)という。その実例として「理科の実験」(尋5)を掲げ「実験を経た思想がいかに好材料たり得るかはこの一例によっても知られる」として学習作文を書く場合の事前の「十分なる理解」の必要性を強調している。
 このような学習事項を題材としたものは『読み方教授』(明治図書芦田恵之助国語教育全集7)にも、『冬景色』(尋5)の授業後に書かせた「冬景色の所について」(女児)という作文例が収録されている。(152-153ページ)この『冬景色』及び「冬景色の所について」の実践例は、垣内松三先生の名著『国語の力』にも引用されている。

   2 評論文集『ごんぎつね』
 この評論文集『ごんぎつね』は、兵庫県三原郡三原町立神代小学校の瀬尾丈春氏の実践したものである。
 この実践は、「まえがき」に、「『ごんぎつね』の学習において、本格的に分析批評を取り入れた。その後、書かせた作文がこの評論文集である」とあるから、いわゆる法則化グループの主張に基づく実践ということである。
 この評論文集の内容は、4年2組の児童24名全員の文章を収録したものである。最高では400字詰原稿用紙31枚、最低では5枚、平均13枚という実態である。
 この評論文集は、全員の文章が「序論」「本論」「ごんぎつねを終わって」と大きく三部に分かれている。
 「序論」は、「初めて『ごんぎつね』を読んで」という表題で、例えば、「ごんはいたずらずきです。初めて読んだときは、ごんがいたずらばっかししていました。でも、ある日、兵十のおっかあがしんで、ごんは、兵十のためにつぐないをしました。でも、さいごに兵十がごんをうった。その時は、ごんがかわいそうだった」(原口輝子)というようなものである。
 「本論」は、最高31枚の位高和代さんの評論文によれば、「①登場人物はだれか、②話者はだれか、③一の場面の話者の位置、④二の場面の話者の位置、⑤三の場面の話者の位置、⑥四の場面の話者の位置、⑦五の場面の話者の位置、⑧六の場面の話者の位置、⑨対比、⑩比喩表現について、⑪何人称何視点か、⑫クライマックスはどこか、⑬テーマは何か」という構成である。児童によっては、「ごんはどんな性格か」「ごんはどんないたずらをしたか」「ごんはどんな生活をしていたか」「ごんはいわしを投げこんだ日から何回兵十の家にきたか」「主役はだれか」「墓地はどこにあるか」「事件は何か」「兵十の考えが変わった所はどこか」「話者はごんの心の中に入っているか」「ごんの思いこみは何か」「ごんと兵十との心のふれあいについて」「なぜごんは兵十の家にくりやまつたけを持っていったか」「兵十にうたれた後、ごんはどうなったか」などの項目を選んでいる。
 「ごんぎつねを終わって」は、例えば、「ごんぎつねを終わって、作文の書き方がよく分かった。それで、とても勉強になった。分からなかったところもたくさんあった。ごんはつぐないをしようと思ったのに兵十にうたれてかわいそうだった。ごんはいたずらばかりしていたから兵十にうたれた。それで、わたしは、前より作文がとてもすきになった」(中原沙織)というようなものである。
 国語科授業における「分析批評」という方法はよく分からないが、指導者の瀬尾氏が、大森修氏(新潟市立新潟小学校)の、「学習したと考えている内容を書かせればよい」という主張に共鳴し、評論文集の実践をしたことについては大賛成である。確かに、授業において発言したからといって学習が定着したとは限らない。したがって書くことによって学習が定着するならば、それは同時に作文指導にも役立つことであり、一石二鳥ということになる。前掲の、中原沙織さんの文章にも、「作文の書き方がよく分かった。それで、とても勉強になった」といっている。
 学習作文の問題点は、従来のような生活文本位の文集のイメージからすれば、なじまないということである。しかしながら、ここに紹介した「評論文集」のようなものであれば立派に文集として通用するので、学習作文は文集になじまないという考え方は払拭すべきである。また、従来のような生活文本位の文集であっても、今後の文集編集は、生活文のほかに学習作文も大いに取り入れ、調和のとれたものとして生活や学習に役立つものとすべきである。
 学習作文は、既に芦田恵之助氏によって実践されていたものであり、古くて新しい問題である。したがって、作文指導の充実向上を目指すには、国語科教育において、避けて通れない重要な問題である。

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