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子どもの学びを深めたいあなたは・・・・・・(兵庫県立大学准教授:守屋淳) 

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 現在、守屋淳先生は北海道大学大学院教育学研究院教授です。以前の勤務校の校内授業研究会で数多く指導をしていただきました。過去にその時の様子を「悠+(はるか・プラス)」(ぎょぅせい:平成21年1月号)に掲載していただきました。


子どもは話し合いを楽しんでいますか
 兵庫県南あわじ市立八木小学校(村上均校長)は、全校児童200人足らず。各学年1学級のこぢんまりとした学校である。この学校では、朝の会を大事にした学校づくりを行っている。
 3年生の朝の会を見に行った。遠方から見学に来る私のために、いつもはもちろん朝一番にやっている朝の会を、わざわざ午後の5校時にしてくれた。前に出た2人の司会の子は「これから午後の会をします」とおかしそうに言って、みんなも思わず大笑い。
 そこからはいつものように、まず司会の子が順に名前を呼んで「元気調べ」である。「~さん」「はい、元気です」というやりとりが続く中、「はい、元気です」の後に「お話があります」と言う子がいる。このあと「今日のお話」をする子が前もって当たっているのだが、その他にも、ぜひみんなに聞いてもらいたいことがある子は、こうして発言することも認められている。「昨日学校からの帰り、~君と~をして遊んで楽しかったです」というようなたわいもないと言えばたわいもない話だが、8人もの子がそんなお話をした。
 聞いている子たちはみんな話の内容をノートに取っている。お話をする子の方も、みんなが書き取りやすいように、ゆっくり間を取りながら話している。この学級のお話はただの言いっぱなし、聞きっぱなしではない。聞き手を意識したお話をする力、しっかり聞く力、そしてそれをノートに書き取る力も朝の会で鍛えられているのである。
 このあと、前もって準備をしてきた4人の子たちが順に「今日のお話」をする。聞いている子どもたちは、それに対して「おたずね」をする。こういうことに慣れていない子どもたちはただ「おたずね」をさせようとしても、揚げ足を取るような質問になったり、一方で質問された子もほとんど答えられなかったりするものだが、この学級ではそんなことはない。話し合うことが楽しいという子どもたちの雰囲気がよく伝わってくる。
 数か月後、次にこの学校に行ったときには、6年生のやはり「午後の会」を見せてもらった。これはもう圧巻だった。社会科の学習に関連してオーストラリアについて調べてきたことをお話する子がいる。また、アメリカ大統領選挙の話題も出て、それをめぐって議論にもなる。担任の先生は「6年生だからニュースを知らないのは恥ずかしい」と常々子どもたちに言っており、子どもたちもそれに応えて高度な話し合いを当然のように繰り広げていた。

子どもの「?」をたくさん引き出せていますか
 この日、参観していた他学年の先生たちが、「この話し合いはぜひ自分のクラスの子たちにも見せたい」とその日の事後研で発言し、それがなんと実現してしまった。次の週、体育館に全校児童を集めて、1年生から5年生までが周りを取り囲む中、6年生たちはいつものように堂々と話し合いを続けた。そしてそのあと、しっかり6年生の話し合いを聞いていた下級生たちからも、6年生へのおたずねがいくつも出された。

 こんなふうに、一人ひとりの子が自分の思いや考えを話し、それを聴き合い、分からないことはおたずねをし合う、それが当たり前だという文化がこの学校には根づきつつある。
 朝の会で育つのは、話す力、聞く力だけではない。どんなことでも話していいのだという感覚(教科の授業とは違って話す内容について制限がないのがいい)、分からないことはおたずねをすればいいのだという感覚、そして話し合うことで最初は分からなかったことが、だんだんはっきりしてくるのだという感覚。こうしたことが実は一人ひとりの子どもに、主体的に学ぶための基礎を育てることになるのである。
 子どもの主体的な学びをその実践の核にしてきた、奈良女子大学附属小学校、富山市立堀川小学校なども、朝の会(堀川小では「くらしのたしかめ」)を大事にしていることは、参観したことのある人なら知っているだろう。

子どもの声をしっかり聞いていますか
 八木小学校に戻ろう。朝の会を通して主体的な学びを育てているこの小学校では、こんなすてきな授業を見ることもできた。
 1年生の算数の授業である。単元は「もののかたち」。ものにはいろいろな形があることを知ろうということで、先生は、箱の形、筒の形、ボールの形を子どもたちに示し、いろいろな絵を見せながら、「これはどの形でしょう?」と発問していった。子どもたちは楽しそうに挙手して次々に答えていく。
 何枚目かは小太鼓の絵だった。もちろん円筒形、筒の形である。としか私には思えなかったのだが、なんと指名された男の子は「ボールの形です」と答え、うんうんと肯いている子どもがたくさんいる。あっけにとられて見ていると、さすがに「いや違うよ、筒の形だよ」という発言も出てきたが、子どもたちは納得しない。試しに先生が挙手させると、ポールの形が6割、筒の形が4割ぐらいの意見分布だった。
 おそらく1年生の子どもにとっては、小太鼓の叩く面の丸さが意識されてボールの仲間と感じられ、筒はむしろ細長い形という印象が強かったのだろう。
 それはともかく、この先生が素晴らしかったのは、決して正解を押しつけず、子どもたちの意見をていねいに聞き取っていったことだ。たとえば「ほら、筒をこうすれば(押して縮めれば)小太鼓の形になるやん」という意見があると、「~君、じゃあちょっと前に出てきて、粘土があるからやってみせて」という調子で、とうとうその授業の残り20分ほどを最後まで、筒かボールかという話し合いを続けさせたのである。(もちろん、先生の予定としては、そんなところで引っかかるとは思っていなかったそうだ)。
 先生が授業中に問いかける発問は、子どもにとってはほとんど生まれて初めて出合う問題である。子どもなりの感覚を働かせ、子どもなりに一生懸命考えて答える。その答えが大事にされず、先生があらかじめもっている答えを押しつけられれば、やがてその子は考えることをやめる。自ら考えるよりも、先生が答えてほしがっている答えを探すようになる。これでは主体的に学ぶ子、考える子を育てることはできない。 
 子ども一人ひとりの主体的な学びを育てるには、この八木小の先生たちが大事にしているように、朝の会で、そして日々の授業の中で、子どもたち一人ひとりが安心して発言でき、考え合える場を、ていねいに作っていくことが何よりも求められているのである。
 やはり、改めて「朝の会」の有効性、重要性などを感じます。極端に言えば、朝の会の充実こそが教科学習の深化につながると言っても過言ではないと思っています。

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